チャイコフスキー(ピョートル・イリイチ)
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チャイコフスキー(ピョートル・イリイチ)
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーはロシアの作曲家。バレエ音楽や6つの交響曲などで有名。ボロディン、バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー=コルサコフのロシア五人組の国民楽派に対し、チャイコフスキーは西欧派と呼ばれる。
叙情的で流麗、メランコリックな旋律、絢爛豪華なオーケストレーションでたいへん人気がある。クラシック入門などの企画では必ずチャイコフスキーの曲が挙げられる。作風はリズムの天才と言われ、一つのフレ−ズを発展の連結にしたり、半音階上昇させたり、または下降させたりと他の作曲家には見られないものがある。曲想はメルヘンチックであり、ロマン濃厚といわれる表情が見えたりする。
チャイコフスキーは同性愛者であったとされ、当時のロシアでは重大問題であったがための苦しみが作品にも反映しているとして、この方面から解釈する見方もある。
チャイコフスキー初期の作品ピアノ協奏曲第1番は、現在でこそ冒頭の部分などだれでも聞いたことのあるほどのポピュラー名曲だが、作曲された際にはニコライ・ルービンシュタインによって「演奏不可能」とレッテルを貼られ、初演さえおぼつかない状態にあった。
同様に、現在では同ジャンルで超有名曲の座にあるヴァイオリン協奏曲も、名ヴァイオリニストのレオポルド・アウアーからやはり「演奏不可能」と烙印を押された。この曲はブロズキーのヴァイオリン、ハンス・リヒター指揮でヴィーン初演されたが、聴衆の反応は芳しくなく、このころ評論家として名を馳せていたエドゥアルト・ハンスリックは「悪臭を放つ音楽」とこっぴどく酷評した。ブロズキーはめげずにこの曲を演奏して各地をまわり、次第に人気が高まってくると、ようやくアウアーも評価を改めて自分も取り上げるようになったという。
最後の交響曲「悲愴」も、初演時の聴衆の反応は好ましいものでなかったとされる。しかし、これは曲のもつ虚無感と不吉さえ感じさせる結末のただならなさ故かもしれない。なお、周りの不評にいつも落ち込んでいたチャイコフスキーだったが、「悲愴」だけは「この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ」と自負するほどの自信作だったようだ。
チャイコフスキーは、子供のころから感受性が強く、とりわけ母親との結びつきはたいへんに強かった。法律学校の寄宿生として母親アレクサンドラから引き離されたときには非常な恐怖を味わい、アレクサンドラが40歳でコレラに罹って死亡したときには大打撃を受けたとされる。 モスクワ音楽院で教鞭を執っていた1868年にチャイコフスキーはデジーレ・アルトーというメゾ・ソプラノ歌手と恋愛し、結婚まで考えたが、デジーレが別のバリトン歌手と結婚したために果たせなかった。その一方で、チャイコフスキーは同性を深く愛しており、生前からこの噂があったために、アントニナとの偽装結婚を決めたといわれている。
謎の死因についても、コレラによるとする説が一応の定説と考えられてきたが、1978年にオルロヴァが発表した説によると、チャイコフスキーは貴族の甥と男色関係を結び、貴族の訴えによって秘密法廷が開かれ、そこで砒素服毒による自殺が決定・強要されたという。一方この説に対しても、チャイコフスキーを診た医者のカルテなど、残されている資料から、やはりコレラ及びその余病である尿毒症、肺気腫による心臓衰弱が死因であるという反論が出され、現在ではやはり病死だったのではないかという説がどちらかといえば有力である。ただしこの反論も彼が同性愛者だったのではないか、と言う説そのものについては否定していない。
- ち
- 03/02 02:13
